1. 1.民俗学と文学のはざまで―Gloria NaylorのMama DayにみるMarie Laveau像

1.民俗学と文学のはざまで―Gloria NaylorのMama DayにみるMarie Laveau像

京都大学(院)柳楽 有里

 

Mama Day (1988)はGloria Naylorの第三作目の長編小説である。Mama Dayは、現実的な問題を直視した第一作と第二作の作品とは大きく異なり、マジックやファンタジーの要素を多く含んでおり、これにはブードゥー教が大きく影響を及ぼしている。薬草を使った治療、conjurer(魔術師)による呪いなど、ブードゥー教に関係するモチーフが繰り返し登場する。ブードゥー教はNaylorに限らず現代黒人女性作家達が度々使用するモチーフの一つではあるが、“conjure woman” (女魔術師)はMama Dayの展開において重要な役割を担っている。

アメリカ文学において、ブードゥー教の魔術師の伝説を再読し、それが文学作品に与えてきた影響を議論する研究は既に始まっている。批評家たちは、キャノン作家達によって魔術師に付与された負のイメージを指摘している。例えば、Arthur MillerのThe Crucible (1953)に登場するTitubaである。Chadwick Hansenは、Titubaは実はバルバドス出身の奴隷であったと指摘している。すなわち、魔術師の伝説が文学において再生産される過程で、魔術師は邪悪なアフリカン・アメリカンである、というステレオタイプを生み出してきたのである。それらに呼応するかのように、黒人作家達は女魔術師をヒロインとして作中に埋め込むことでイメージを再構築している。 Mama Dayはその一つとして挙げられるだろう。

Mama Dayにおいては、さまざまな二項対立が多層的に交差している。Georgeという既に死亡しているニューヨーク出身の男性と、Cocoaという島の女性の語りを用いることで、地域、性、生と死といった境界線を曖昧にしていることは批評家たちが指摘する通りである。魔術師は、それらの複雑に絡み合う対立の一つであり、ひいてはキリスト教とブードゥー教の対峙という観点から見られがちである。しかし、New Orleansなどに点在するブードゥー教を議論するうえで、西洋的な二項対立に依拠した視点からのみ作品を論じることには限界がある。また、Naylorが女魔術師を使用することでキャノン作家達が構築した魔術師に対する負のイメージを単に書き換えている、という議論だけでは不十分である。

本発表では、作品に登場する女魔術師Sapphira Wade とMiranda Dayを中心に、New Orleansで語り継がれてきたMarie Laveauの伝説と比較し、女魔術師がこの作品においてヒロインとして生まれ変わることで、付与されてきたステレオタイプをいかに脱却しているかを検証する。主に取り上げる伝説は、今なお巡礼者が後を絶たないMarie Laveauである。黒人女性作家の先駆者的存在であるZora Neale HurstonがMules and MenでMarie Laveauを取り上げていることは言うまでもない。また2000年以降相次いでMarie Laveauの伝記が出版されており、このことは民俗学におけるMarie Laveauの重要性を裏付けるものとなっている。HurstonからNaylorに受け継がれた文学におけるMarie Laveauの伝説の受容を考察することは、Naylor作品の理解に重要であると考えられる。