1. 2.Nine Storiesを流れる特異な時間

2.Nine Storiesを流れる特異な時間

青山学院大学(非常勤)加藤  宏

 

Salingerは1953年、それまで雑誌に発表した短編小説の中から9編を選びNine Storiesとして出版した。この9編を選んだ基準、それぞれの短編の共通点はなんだろうか。従来、この短編集の冒頭に掲げられた禅の公案の中にある“the sound of one hand clapping”(「片手の鳴る音」)が登場人物の内面に鳴り響く瞬間がそれぞれの作品内で描かれている、という解釈がよくなされてきた。本発表ではそれをさらに進めて、Nine Storiesの各短編の中に、「片手の鳴る音」という、理屈では理解できない音を聞くための特異な状況に焦点を当てたい。それは、物語を流れる時間が、不自然に歪んでいることである。

例えば、“For Esmé-with Love and Squalor”において、物語の前半のEsméと語り手の出会いのわずかな時間の様子が細かく描かれる一方、その後語り手が参加したノルマンディー上陸作戦を含む激しい戦闘のあった長い時間は、大胆に省略される。後半では語り手と同一人物と思われるSergeant Xは、その空白の時間を経て精神を病んでいる様が丁寧に描写される。読者はその描かれなかった時間に語り手を含む登場人物に起こった出来事を、少しずつ明らかにされる断片から想像するしかない。また、物語の最後に示されるEsméからの手紙によって、語り手とEsméの最初の出会いの日時が示されるが、それが前半の語り手の説明と矛盾する。さらに、“De Daumier-Smith’s Blue Period”において、語り手が掲示する物語の時間・年月が明らかに矛盾している。それを作者Salingerの単純な間違いと捉え、テクストの年号を変更した出版社もあるが、それでも矛盾が解消されないほど時間が入り組んでいる。さらに、語り手は夢中になって深夜に手紙を書くが、それを実際に投函した時間が30分ほど逆行して示される。

時の歪みはひとつの物語の中だけにとどまらない。“A Perfect Day for Bananafish”においてGlass家の長兄SeymourをSalinger 本人と同じ山羊座生まれ(12月22日〜1月19日)と設定し、Seymourに自分自身を投影して描く。しかし、のちにGlass家物語を書き続けていくうち、Salingerは自分の分身としてGlass家の次兄Buddyを設定する。そのため、“Zooey”では、Seymourを2月生まれに変更している。また、Seymourは“A Perfect Day for Bananafish”において自殺をしてしまったので、その後のGlass家物語を続けるにあたってSeymourを登場させる時には、家族による回想、前日譚、Seymourの残した手紙などを用い時間をさかのぼることでしか表現できない。

本発表ではまず、一読するだけでは気がつかないが仔細に検討すると見えてくる時間の歪みの痕跡をNine Storiesを中心としてテクスト内に見出していく。さらにそれらを、登場人物の内面と、特異な時間を使って書いたSalingerの意図の両面から考察していきたい。