1. 第2室(2号館1階12番教室)

第2室(2号館1階12番教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
星野 勝利

1.“The Psyche Zenobia (How to Write a Blackwood Article)”における人種、断頭、フランス革命

  関西学院大学(非常勤) : 岡本 晃幸

2.太平洋に浮かぶ“The Piazza”―Herman Melvilleにおける開国のレトリック

  慶應義塾大学(院) : 田ノ口 正悟

上岡 克己

3.Henry Thoreauの野性観の変遷―The Maine Woods における “The Allegash and East Branch” の章に確立されたもの

  久留米大学 (非常勤) : 松原 留美

武田 宣久

4.Maggie―Stephen Craneの劇場世界

  福島大学(非常勤) : 渡邊 真由美



関西学院大学(非常勤)岡本 晃幸

 

Edgar Allan Poeの短編“The Psyche Zenobia (How to Write a Blackwood Article)”[“The Psyche Zenobia”] (1838)は、Poeの創作技法との係わりで論じられることが多かったが、近年Toni MorrisonやTeresa Godduなどにより人種問題の視点から再評価されている。しかし、時計塔の針によるPsyche Zenobiaの断頭と人種の関係はあまり論じられてこなかった。Poe文学における断頭といえば、“Never Bet the Devil Your Head” (1841)で悪魔に首を持って行かれてしまうToby Dammitや、“The Murders in the Rue Morgue” (1841)で首が転げ落ちてしまうMadame L’Espanayeの死体などをあげることができる。注意したいのは、これらの短編でも黒人奴隷の問題が見え隠れすることである。母親から叩かれすぎて顔が黒く腫れ上がったDammitは“a little African”に喩えられているし、“The Murders in the Rue Morgue”のオランウータンが黒人奴隷の表象であるというのは最近のPoe研究では定説である。Poe文学において、断頭と人種問題は何らかの関係があるのではないだろうか。

ここで注目したいことは、Zenobiaが首を入れる時計塔の穴が“such as we see in the face of French watches”と言われていることだ。Poeは雑文集“Pinakidia” (1836)の中で、フランス革命の恐怖政治時代に断頭台で処刑されたAndré Chénierの詩を紹介しているが、それは時間を時計のイメージでとらえた詩であった。Zenobiaの首に迫る時計の針の描写にも“revolution”という言葉が(表面的には「回転」の意味ではあるが)使われており、フランス革命における断頭台での処刑との関連をうかがわせる。

当時の南部において黒人奴隷の問題とフランス革命は無関係ではなかった。フランスの植民地であったハイチで黒人奴隷による革命が勃発した後、フランス革命政府が奴隷制廃止を宣言したことなどから、南部の奴隷所有者たちはフランス革命を敵視した。それは、Poeが編集に携わっていたSouthern Literary Messenger の1836年4月号に掲載された、いわゆる “Paulding-Drayton review”の中でフランス革命が非難されていることにも反映されている。以上の点を考慮すれば、“The Psyche Zenobia”を人種の視点から再考するためには、フランス革命に関わる当時の言説の影響を考察することが必要であるだろう。

本発表では、“The Psyche Zenobia”を中心に、他のPoe作品や当時の雑誌の記事を比較しつつ、Poe作品における人種とフランス革命の関係について論じる。


慶應義塾大学(院)田ノ口 正悟

 

1854年3月31日は、日米外交史において重要な日となった。4隻の「黒船」を率いてやってきたMatthew C. Perryの要請を受けて、江戸幕府は神奈川条約に調印し、鎖国に終止符を打ったのである。日本を開国に導いたこの出来事の背後には、川澄哲夫の『黒船異聞』(2004)が指摘する通り、19世紀アメリカの基幹産業であった捕鯨業が介在する。捕鯨船とその乗組員の長く危険な航海を支えつつ、漁獲高を拡大するには、水や食料などを安定して確保できる中継地が必要であり、日本はそれにうってつけの場所に位置していたからである。

Perryによる日本遠征がアメリカ国内を賑わせていたのと同時期に創作を行っていたHerman Melvilleは、捕鯨業が日本の開国に重要な役割を果たしていることを認識していた。実際、彼の代表的長編小説Moby-Dick (1851)には、「二重にかんぬきのかかった」日本がもし開国するようなことがあれば、「その功績は捕鯨船にのみ帰せられるべきだろう」と述べられている。捕鯨業に対する日本の地理的重要性を認める一方で、彼の日本表象には人種的な他者意識も反映されていた。Elizabeth Schultzは“Whole Oceans Away”: Melville and the Pacific (2007)に収録された論文において、Moby-Dickを取り上げながら、不可思議なアジア人に対する他者意識がゴシック文学の手法でもって表現されていることを喝破した。

ここで見逃してはならないのは、日本とその開国はMelvilleにとって、アメリカの捕鯨業を支える地理的重要性を担う以上の、あるいは人種的他者意識を吐露する以上の役割を果たしていたことである。すなわち日本は、19世紀初頭から半ばにかけてアメリカが太平洋を舞台に帝国化して行く過程で、自身の正当性を証明するために不可欠な土地であったのである。この点を例証するために、本発表ではメルヴィル作品において繰り返し用いられている、ある表現に注目する。それはジャンク船(“junks”)である。Moby-Dick第16章“The Ship”において、語り手のIshmaelはQueequegと共に彼らが乗る捕鯨船を探す。そこで彼らは、物語の舞台となるピークォッド号と出会うのだが、その船がいかに風変わりであるかを語るために引き合いに出されるのが、「山のように高い帆を立てる日本のジャンク船」(“mountainous Japanese junks”)である。

ピークォッド号の奇怪さの背後に埋もれがちなジャンク船であるが、この船は第3長編Mardi (1849)から最後の長編The Confidence-Man (1857)に至るまで、Melville作品において繰り返し用いられてきたモチーフである。そしてこの船が重要なのは、そこにアメリカとヨーロッパの間で繰り広げられていた極東アジアへの覇権闘争の姿が映し出されているからである。このことを示すために、本発表では、当時の新聞や雑誌などから日本あるいはアジアに関する同時代言説を抽出しつつ、Melvilleの最後の短編である“The Piazza” (1856)の再読を行う。そうすることで、Paul GilesやYunte Huangらを中心とした環太平洋的アメリカ文学研究が進展する現在において、19世紀中葉における極東アジアの文学的表象に、半球規模の問題系が描き込まれていた可能性を示唆することができるからである。


久留米大学 (非常勤)松原 留美

 

ヘンリー・ソローがメイン州へ野性の探索を試みたのは、1846年、1853年、1857年の3度にわたる。それぞれの旅の様子は3章立てのThe Maine Woods (1864)の各章におさめられているが、この間は、ソローは9年の歳月をかけてWaldenを推敲し、1854年にようやく出版に至った時期に重なっている。この頃は、ソローが自然と対峙しながら自我と環境との関係性が変化させていく時であり、ローレンス・ビュエルはこの9年間の推敲を「ホモセントリズムからエコセントリズムにシフトしていくプロセス」という読み方をしている。そこで本発表では、以上のプロセスが、ソローが実践生活をもとに野性的な自然との関係を発見し、野性が自己の信念の核としていた「より高い法則」(Higher Laws)とどのような関係をもつものであることかということについて考察した過程であったことについて明らかにしたい。

また、本発表で取り扱う “The Allegash and East Branch”の章は、3度目の旅の7月から8月にかけてのものであるが、この旅について特筆すべきは、インディアンのガイド、ジョー・ポリスとのやり取りである。この章は、The Maine Woodsのほぼ半分を占めるが、ここでソローはポリスが語るインディアンの言葉を記録し、その語源について沈思したことや、またポリスの言動や行動に対して様々な印象を抱いたことを記しながら、彼の性格描写を全面に繰り広げている。

さらに、The Maine Woodsの中でソローが繰り返し使用する「原始的な」(primitive)という語には、野性のなかでもソローが「原始的」なものを求めたことがあらわれている。そして、ソローはこの原始的なものを上記のようなインディアンの言動や行動から探ろうとしているのである。つまり、インディアンがソローにとって特別であったのは、そのような「原始的」なものがインディアンの野蛮性(savageness)や伝統につながることを期待し、それが野性を説明するひとつの答えであったたからだと言える。しかし、このようなソローが抱いた野性全般の概念は、極めてキリスト教的である「より高い法則」(Higher Laws)には結び付き難いものである。そこで、特にこの点に留意して、本研究ではソローにとって野性が自己の思想の中でどのような位置をしめるものであるかを考察していく。

ソローの野性の追求のひとつの形として、このようなインディアン文化への興味があらわれている。現代では、1851年にコンコード・ライシーアムにて講演された「野性」を下敷きに書かれたエッセイ ‘Walking’ (1863)をソローの野性の文明論としているが、ソローの最大の興味の中心であった野性の問題は、彼の最後の作品The Maine Woodsの “The Allegash and East Branch”の章にこそ描き出されているのである。本研究では、ソローが最後に辿り着いた野性論をペノブスコット族ポリスとの交流の中に論じていく。


福島大学(非常勤) 渡邊 真由美

 

Stephen CraneのMaggie: A Girl of the Streets (1893、以下、Maggieと記す)は、アメリカ自然主義小説の先駆的作品として注目されてきた。たしかにCraneは10代の頃からニューヨークのバワリー街をはじめとする貧民街を観察し、貧しい人々の生活のなかに“real life”を見出し、それを写実的に表現した。しかし同時に、彼は文学に演劇的効果を求める芸術家であった。本発表では、大衆演劇が主人公の想像力をかたちづくる点、そして彼女の運命が大衆演劇の世界を裏返して現実の世界のリアリティを効果的に打ち出すのに機能している点を考察したい。

19世紀末は、労働者階級やミドルクラスの娯楽への欲求を背景に、大衆演芸がたいへん栄えた時代であった。Craneはそういう演芸に積極的関心をもち、自ら戯曲を手掛ける一方、“Some Hints for Play-Makers” (1893)と題する戯文などで、メロドラマの流行を痛烈に批判もしている。Craneは作品Maggieのなかに舞台の要素―とりわけ、メロドラマの設定やプロット―を大幅に取り込みながら、主人公の舞台との関わり方を通して舞台とは逆の“real life”を描こうとするのである。

貧しい家庭に育ちながらも純真な主人公Maggieは、兄の友人Peteに劇場やサルーン(酒場劇場)に頻繁に誘われる。そういう場所で演じられているメロドラマの多くは、無垢な少女が善良な救済者によって貧しい生活から救われ、幸せを手にする。Maggieは自然、自分をそのようなメロドラマのヒロインに重ねて、Peteを救済の騎士と信じるが、すぐさま裏切られ、捨てられる。

このようにプロットはメロドラマの結末を逆転させているにすぎない。しかし、舞台やそれを見て沸き立つ移民労働者たちの描写などは、非常に写実的で、生き生きしており、Jacob Riisらが作り上げた貧困にあえぐ労働者階級のイメージを壊していて、Craneの観察が生かされている。他方、メロドラマの典型的ヒロイン像を与えられたMaggieは、始めのうちは観客として舞台を見ているが、次第に自分が見られる存在になっていることを意識するようになる。と同時に、彼女は名前を呼ばれることがなくなり、題名通り「ある女」になっていく。つまり、日常性を超えて、普遍化した女になっていくのである。

Maggieは、メロドラマの枠組みを利用しながらも、メロドラマ的世界観を覆して見せる。劇場の場面を通して自分の感情を語ることのほとんどないヒロインの心理状態をドラマティックに浮き出させたり、作品の最後では、ヒロインの転落を、彼女自身が歩く通りやすれ違う男性たちによって印象主義的に表現したりしている。こうして、作品Maggieは、メロドラマを見るMaggieからメロドラマのヒロインになるMaggieへと漂わせながら、“real life”の内面までも描き出そうとする。伝統的ロマンスの手法にも自然主義的手法にも収まらない、Crane独自の文学世界を創りだしているように思われる。