1. 2.「病んだ罪深い心」―Nathaniel HawthorneのThe Scarlet Letterにおける病の隠喩

2.「病んだ罪深い心」―Nathaniel HawthorneのThe Scarlet Letterにおける病の隠喩

宮城学院女子大学 田島 優子

 

本発表は、Nathaniel Hawthorne のThe Scarlet Letterにおける病の描写に着目し、隠喩としての病に与えられた多様なイメージとその変容に焦点をあてながら、作品に描出された罪の問題を再検討していく試みである。

Hawthorneはその経歴の実に始めから終わりまで、人間の心の闇や罪といった問題を描き続けた作家であったが、これらの罪が頻繁に病の隠喩によって描出されるということは興味深いことであるように思われる。この顕著な例としては、1838年に出版された“Lady Eleanore’s Mantle”が挙げられる。この作品においてEleanore婦人は天然痘という災いを町に招くことになるが、彼女の持つ貴族としての“pride”は、The House of the Seven GablesのPyncheon家の“pride”という罪を彷彿させるものである。

罪が病の隠喩によって描かれるものとしては、Hawthorneの代表作とされるThe Scarlet Letterもこの例外ではない。例えば姦通の罪を犯したHesterや、罪を隠し続けるDimmesdaleは、ともに「病的な」という語彙や病的な症状によって形容される。登場人物のChillingworthは、通例それだけで完結しているものとみなされている身体的な病が、実は精神の病の一兆候にすぎないのかもしれないという可能性を作中で指摘しているが、病は症状によって目に見えるものへと具現化することによって、罹患した者の秘密を暴露してしまうのであり、隠そうとするものが表面に現れ出てしまうことへの作者や登場人物の懸念が、ここから読み取ることができるように思われる。

病の隠喩によって描かれていく人物として注目すべきなのは、罪を告白できずに心身ともに衰弱していくDimmesdale牧師であろう。この牧師の見せる無気力状態やそれとは反対の躁状態、体力の衰えからくる人格の神秘化といった特徴は、結核の症状として考えられていたものの典型であるように思われる。Susan Sontagによれば、結核を始めとする流行病には恐ろしいものやロマンティックな死といった多様な神話が付与されるが、医学の発達とともにその病がもはや「不治のもの」でなくなると、それは特有のイメージを喚起することを終えるのだという。Dimmesdaleの罪が結核を思わせる病の隠喩によって語られるとき、この登場人物は民衆の間で神秘的な病を持つ者としての役割を引き受けると同時に、作品の執筆された時代、すなわち19世紀的な視点から罪に光を当てようとする語り手の、隠喩としての病を相対化する試みを引き受けてもいるように思われる。

以上のようにThe Scarlet Letterにおける病の隠喩は、作者の呈示する罪の問題と絡み合いながら重層的な構造をなしている。本発表では、このことに焦点を当てることによって、結末でのDimmesdaleの罪の告白の意味するものを再検討していきたいと思う。