1. シンポジアムU(九州支部発題)(吉田南4号館2階、4共21教室)

シンポジアムU(九州支部発題)(吉田南4号館2階、4共21教室)

2015年度 九州支部発題レジメ

 

逸脱する結婚――アメリカ文学と不倫のエロス

 

不倫は常に人々の好奇心と想像力をかき立ててきた。ギリシャ神話や聖書を始め、これまでおびただしい数の文学作品が不倫のモチーフを活用してきた。それは一方では社会規範からの逸脱として断罪されながら、他方ではエロティックな好奇心をそそってきたからである。いわば禁忌であるが故に欲望の対象となり、センセーショナルな題材として活用されてきたと言える。

アメリカ社会においてはそのピューリタニズム的出自のために、「不倫」はとりわけ強い断罪の対象となってきた。そしてその強い抑圧こそが逆に物語を駆動させる強い欲望を生み出してきたとも言えるだろう。19世紀アメリカの不倫文学の代表であるNathaniel HawthorneThe Scarlet Letter1850)はピューリタン植民地時代を舞台にし、なおかつ主人公のひとりを牧師とすることで、不倫にかかる抑圧がもっとも強い状況を設定しているが、この抑圧の強度は作家本人の抑圧への意志だけでなく、その秘めた欲望の強度をも表しているはずである。その2年後に書かれたHerman MelvillePierre: Or the Ambiguities1852)は、父の不倫が物語を動かすきっかけとなり、主人公を、姉を交えた二重の意味での逸脱した結婚へと導く。

その一方で19世紀後半から20世紀にかけて、この抑えがたい欲望は結婚制度への異議申し立てとしても利用されることになる。Theodore DreiserSister Carrieは語り手が何度もその不道徳を非難しながらも、妻子あるHurstwoodと不倫の関係を結ぶCarrieは最終的に罰されることなく社会的成功を収める。いわば結婚制度をめぐるヴィクトリア朝的ダブルスタンダードを逆転させていると言えるだろう。またKate ChopinThe Awakeningでは、女性の性欲が否定されていた時代に、主人公Ednaは性的欲望の主体となることに目覚め、それまで男性に占有されていた、主体的に不倫を欲望し、男を誘う役割を演じるのである。

いずれにせよ世紀転換期までは、それら不倫に踏み切る登場人物たちは、家父長制の根幹を揺るがす大罪を犯した者として厳しく断罪されるか、さもなければ作品そのものが弾圧の対象となってきた。このように罪深い行為とされているにもかかわらず、あるいはそれ故になおさら、不倫は作家たちを魅惑し続けてきたのである。本シンポジウムは性の解放を迎え、不倫への欲望が顕在化はじめた20世紀初頭に活躍した三人の作家を各講師が取り上げ、罪と魅惑の対象としての「不倫」からアメリカ文学に切り込むことによって、結婚制度、セクシャリティ、ピューリタニズムといったテーマを新たな角度から問題化することを試みる。また2013年に『エロティック・アメリカ』を上梓した大井浩二をコメンテーターに迎え、積極的なディスカッションを行う予定である。

 

司会・講師

高野泰志(九州大学)

講師

高橋美知子(福岡大学)

講師

舌津智之(立教大学)

コメンテーター

大井浩二(関西学院大学・名誉教授)

 

Jake Barnesの欲望の視線――不倫小説として読むThe Sun Also Rises

高野泰志

The Sun Also Rises1926)は表面的には不倫の物語ではないものの、Ernest Hemingwayの不倫の欲望から生まれた作品であると言える。周知のようにこの作品は、発表当時は実話小説として読まれ、それぞれの登場人物には明確なモデルとなる人物がいた。Hemingway自身をモデルにしたJake Barnesは、Duff Twysdenに基づくBrett Ashleyを欲望しながらも、性的不能であるためにその欲望をかなえられないでいる。テクスト中からHemingwayの妻Hadleyと長男の姿は消され、Jakeは独身という設定になっているが、そういう意味でJakeの不能はHemingway自身が感じた不倫の禁忌の象徴でもある。

実生活における妻と息子の「存在」が、テクスト中では主人公Jakeの性器の「不在」へと転嫁されたとき、The Sun Also Risesという物語は動き出したと言えるだろう。Brett / Duffへの欲望を切り落とすかのように、作者HemingwayJakeの性器を切り落とすものの、逆説的にBrettに向けたJakeの欲望は失われるどころか、ますます高められることになる。なぜなら妻子の「存在」は欲望の視線そのものを禁ずるが、性器の「不在」は欲望そのものを生かしながら、それを満たす手段だけを消し去ることになるからである。

いわばThe Sun Also Risesという物語を中枢で駆動させているのは、作者Hemingwayの隠蔽された不倫への欲望であり、性器の「不在」によって発露を許された主人公Jakeの不可能な欲望なのである。本発表ではこのJakeの欲望を追うことで、Hemingwayの不倫の欲望がどのように物語に影響しているかを論じる。

The Sun Also Risesは実話小説として書き始められながら、モデルとなった人々が忘れ去られた今もなお読み継がれている。それは不倫への欲望と、欲望することへの罪の意識とのせめぎ合いが、登場人物の間に欲望を駆動させるダイナミズムとなっているからである。Hemingwayが自ら抑圧しようとした欲望がいかなる形で作品の核として昇華されたのかを明らかにしたい。

 

利用する女、逃れる男――Tender Is the Nightに描かれる不倫と結婚

高橋美知子

本発表ではF. Scott FitzgeraldTender Is the Night1934)の主人公Dick Diverと妻Nicoleそれぞれの(潜在的)不倫と、作中における結婚制度の揺らぎについて考察する。

NicoleTommy Barbanの関係に目を向けてみると、それはエキゾティシズムの流行を具象化したような関係である。Ruth Vaseyが指摘するように、当時のアメリカでは「エキゾティックとエロティックが深く結びついて」おり、肌の浅黒い俳優たちはメインストリームのアメリカ人とは遠く離れた存在であるがゆえに、「際限ないエロティックな可能性に対してオープンであると考えられ」、その代表格Rudolf Valentinoは「何百万という女性の欲望の典型的な対象」であった。だがNicoleTommyの関係は不倫に終わらず、彼女はDickと離婚してTommyと再婚することを選ぶ。一見Nicoleは結婚制度の枠組みの中に安住することを選んだようにも見える。しかし、Tommyとの「情事」を前に彼女が見ているのが「従う必要も愛する必要もないたくさんの男たちがいる新しい景色」であることを考慮すれば、いわばNicoleは結婚制度を利用しつつ、必要に応じて夫を取り換えながら生きていこうとしていると言えそうである。

次に注目したいのは、Chris Messenger “the girl” と呼び、「もしかすると、(Dickの)意志で好きなように目撃することが出来るのかもしれない」と訝るほどに数多い、Dickの人生を横切っていく名もなき女性たちである。Dickが「少女」に執着するのはなぜか、そしてNicoleRosemary Hoytを彼が希求する「少女」の一例であると捉えることは可能かを考察していく。その過程において、NicoleRosemaryの共通項としては若さと白さがあること、つまりNicoleは黒さに惹かれDickは白さに惹かれるという二人の不倫のコントラストについても考えてみたい。件の「少女」の影はNicoleと離婚し、アメリカに戻ったのちも登場している。Nicoleに見事に利用されたDickは、作品の最後では「誰か家の世話をしてくれる人と一緒に暮らしている」らしい。これをDickが結婚という制度のしがらみと重圧から解放される道を選んだのだと捉えれば、伝統的にDickの凋落の物語として読まれるTender Is the Nightに、違う角度から幾ばくかの光を照射できよう。

Rosemaryもまた、結婚制度に縛られない生き方をしていることを考えれば、Tender Is the Nightで描かれるのは単なる婚外恋愛ではなく、従前の結婚制度から様々な形で飛び出していく登場人物たちの姿ということが出来る。NicoleDick、二人の不倫を通して、結婚制度からの逸脱の物語としてTender Is the Nightを読んでみたい。

 

不倫と同性愛――Willa Catherにみる婚外のエロス

舌津智之

大井浩二は、『エロティック・アメリカ』において、ヴィクトリアニズムの裏側に脈動するアメリカ的エロス――多くの場合、規範的な異性愛ではなく逸脱的要素を孕む性愛――をあぶり出すうえで、手紙や日記といった個人的なエクリチュールに注目したが、同じ文脈において精査されるべきは、2013年に初めて活字化されたWilla Catherの書簡集である。たとえば、(ボストン・マリッジを実践した)Sarah Orne JewettAnnie Fieldsの二人が、自分にとっていかに大きな存在であるか、CatherFieldsに宛てた手紙の中で幾度か述べている。さらに、同性の親友であったIsabelle McClungと久々に会うことをFieldsに報告する手紙(1912年)のなかで、Catherは、ネブラスカの大草原を嗅覚的かつ官能的に捉え、“you can smell the ripe wheat as if it were bread baking”と書いているが、この表現は、O Pioneers!1913年)に描写される“the smell of the ripe wheat, like the smell of bread baking”というフレーズに昇華されている。私信と小説のこうした共鳴は、不倫の主題をサブプロットに据えたCatherの出世作が、作者の個人的な同性愛の感情とも絡みあう可能性を示唆しうる。

CatherFieldsの存在を念頭に書いたと目されるもう一つの不倫小説に、A Lost Lady1923年)がある。Susan RosowskiKari Ronningは、この中編小説のヒロインであるForrester夫人のうちに、同じく年長の男性と結婚/死別し、その伝説的ホスピタリティをもって来客者たちをもてなしたFieldsの影を読み込んでいる。無論、Forrester夫人に憧れる視点人物Nielのまなざしは、男性のペルソナを通して女性を見つめるCatherの目線と重なりあっている。つまり、不倫という主題を前景化するCatherの小説は、そこへ同時に同性間のエロスを織り込むことにより、制度としての異性愛に対する抵抗のしぐさを補強する。伝記的にみると、Catherは、O Pioneers!を出版する前年の1912年から、Edith Lewisとの安定的な同居生活を始めているが、その後も、以前から親しかったMcClungとの親密な関係は続き、二人で長い旅行に出かけることもあった。本発表では、Catherの(人生と)作品が、一対一の恋愛関係を強いる対幻想に抗い、イデオロギーとしての結婚・家族制度を相対化しつつ、複数形の友愛関係を許容する官能的親密圏の構築を目指したものであることを見極めたい。