1. 3.Hemingwayの南西島共和国 ―― 文学、革命、観光

3.Hemingwayの南西島共和国 ―― 文学、革命、観光

宮本 陽一郎 筑波大学


1932年4月12日、Ernest HemingwayはJohn Dos Passosに宛てた書簡のなかで、唐突にキー・ウェスト独立計画について語り始める。電線を切断し、バヒア・ホンダ鉄橋を爆破し、キー・ウェストを本土から切り離して、南西島共和国 (South West Island Republic)の独立を宣言し、キー・ウェストを世界一豊かな自由港にするというものだ。さらに黒人を再奴隷化し、カトリック教徒、プロテスタント教徒、自由思想の持ち主、無神論者、共産主義者、反革命分子を順次虐殺し、Dos Passos夫人を理性の女神に選び、Archibald MacLeishとEvan Shipmanに独立運動を讃える叙事詩を書かせるなど、Hemingwayの妄想は荒唐無稽を極める。しかしこの合衆国離脱幻想は50年後に奇妙なかたちで反復される。

1982年4月23日、キー・ウェストのDennis Wardlow市長は5人の革命分子とともに、マロリー・スクウェアで集会を開き、キー・ウェストの合衆国離脱と「コンク共和国」の独立を宣言する。Reagan政権がカリブ海からの密輸・密入国を防ぐという名目で、国境警備隊に国道1号線の封鎖と検問を命じたため、キー・ウェストの観光産業は大打撃を被り、市長はこれに対する抗議として、コンク共和国独立という奇策を思いついたのだった。1分後にWardlow 「首相」は一方的にアメリカ軍に降伏して、10億ドルの戦後復興支援を要請する。このパフォーマンスは一応の功を奏し、政府はほどなく国道封鎖を撤回する。以後、コンク共和国独立フェスティヴァルは、「ヘミングウェイ・デイ」と並ぶキー・ウェストの重要な観光イヴェントとなる。

HemingwayとWardlow市長の合衆国離脱幻想は、カリブ海の植民地主義と革命の歴史を愚弄するものであり、それゆえにカリブ海を「空白化」する言説の、目に余るケースといえるだろう。しかし同時にそれは、合衆国でありながら合衆国ではない、キー・ウェストの複雑な「エスノスケープ」(Arjun Appadurai)に私たちの目を向けさせる。旅行者、亡命者、外国人労働者、難民の流れによって編成されるこのエスノスケープは、政治的境界線を越えてさらに90マイル沖のハバナにまで曖昧に広がり、まさにそのなかでHemingwayの1931年以降の作家生活が営まれたのである。そしてそれはスロッピー・ジョーズからラ・フロリディータに至る観光資源としての“Papa” Hemingwayの分布図とも重なり合う。

本発表は、帝国主義批判につきまとう合衆国/カリブという二項対立によって空白化されがちな、エスノスケープの豊穣さに注目する。その豊穣さは、観光文化というスキャンダルと切り離すことができない。To Have and Have Not (1937)を始めとするHemingwayの作品は、キー・ウェストのエスノスケープと観光文化の両方の構築に関与するテクストとして位置づけられる。