1. 2.外観・生・セクシュアリティー――Angels in America におけるスペクタクル

2.外観・生・セクシュアリティー――Angels in America におけるスペクタクル

岡本 太助 大阪外国語大学(院)


20世紀アメリカ演劇の最高傑作と評されるTony Kushnerの大作Angels in America: A Gay Fantasia on National Themes は、代表的批評家の一人であるDavid Savranの指摘によれば、様々な「アンビヴァレンス」を孕みつつも、結局は「リベラル多元主義」という政治的立場のもとに構築されたものとみることができる。しかしこの「アンビヴァレンス」は、単純に解消されるべきものなどではなく、むしろそこに生じる緊張関係こそが、作品を駆動する力となっているといえる。黙示録的な荘厳さと卑俗な言説の混在、超越的な救済の希求と人間主義的な社会変革の展望、パーソナルなものとしての病や死とそれを超えたところに夢想される共同体、生と死、過去と現在。そういった対立的な事象や概念が弁証法的に高められてゆき、錯綜する物語の網の目の上に、作品の標榜する「国家的テーマ」が浮かび上がるのである。だがAngels における弁証法は、明確なジンテーゼに至ることはない。主人公Priorによる天国巡りと「さらなる生」の選択というファンタジー的な展開を経て、終幕では、セントラルパークの噴水の前に集った主要登場人物たちが、ペレストロイカが象徴するより良い未来に思いを馳せるが、この結末が唐突な印象を与えることは確かであり、ここに至るまでに描かれてきた対立や緊張関係は、必ずしも解消されたとはいえないのである。

本発表では、Angelsにみられる様々な「アンビヴァレンス」を、≪スペクタクル≫をキーワードに読み解いてみたい。Guy Debordは、「それ固有の観点にもとづいて考察すれば、スペクタクルとは、外観の肯定であり、すなわち社会的な生を単なる外観として肯定することなのである」と述べている。Angelsでは、Priorのもとに降臨する天使の姿に、Debord的スペクタクルを見出すことができる。それは強烈な畏怖を呼び起こす神性の顕現でありながら、スピルバーグ映画のパロディでもあり、演劇的な見世物としてのスペクタクルでもある。ここに「アンビヴァレンス」あるいは決定不可能性が生じるわけだが、Kushnerはそれを解消するのではなく、あえて誇張し増幅させることによって、意味作用の可能性を拡大してゆく。同様の戦略は、さらにセクシュアリティーや生の再定義にも向けられ、外観と内面(真実の自己)の対立という抑圧的言説が戯画化される。つまりは「外観の肯定」としてのスペクタクルに対して、キャンプ・クイア的「外観の肯定」を対置し、逆説的に生と性をスペクタクルの領域から開放しようという試みである。この発表では、スペクタクルとKushnerの戦略の間の≪共犯関係≫を、Angels における高次の「アンビヴァレンス」として考察する。