1. 4.Beloved における幽霊と母親(母性)――アイデンティティの攪乱

4.Beloved における幽霊と母親(母性)――アイデンティティの攪乱

石本 哲子 同志社大学(非)


本発表では、Toni MorrisonのBeloved を主に(1)幽霊の物語(2)母娘の愛の物語として読みながら、Beloved とSetheがアフリカ系アメリカ人に課せられた歴史的な状況の下で、彼らの各々のidentityを確立し、保つことを切望しているにも拘らず、その自己を形成する境界線が如何に曖昧で容易にかき乱されるものとなり得るかという問題を考察する。その際、「女というカテゴリーを何の疑問もなく引き合いにだす姿勢が、表象/代表の政治としてのフェミニズムの可能性を あらかじめ閉じてしまう ことだ」として、暗に異性愛主義である self-identity の概念の危険性を指摘するJudith Butlerの主張はこの小説とどのように交錯するのかを探求したい。この小説では、アフリカ系アメリカ人の女性/男性、母親/娘といったカテゴリーにおける自己の所有、治癒、結合の不可能性の問題は顕著であり、SetheとPaul Dの間の異性愛の物語は母娘の不毛な愛の物語と同じく宙吊りにされている。

第一にBelovedのidentityに焦点を当てる。Belovedとは一体何であるのか。「奴隷制の惨事を体験した若い(生身の)女性」(House)なのか「超自然の現象」(Heinze)なのか。Belovedのidentityに関する議論は多様だが、とりわけ説得力を持つのはHorvitzの解釈で、Belovedを「強力な、肉体をもつ幽霊」と称し、アフリカから奪われた何世代もの母娘の「アイデンティティの流動性」を体現し出没した多数の “Beloveds”を象徴していると考える。Belovedの流動質のidentityはまた彼女を取り巻く者たちのそれをも揺るがせにする。BelovedはPaul Dには誘惑者として彼の男性性の再起を妨げ、一方Setheには殺された娘として、彼女の母親としての自負に挑み、責め、限界に達するまで衰弱させる。

第二にSetheのidentityに焦点を当てる。Belovedが自ら殺害した娘であるという認識を得たSetheは外界から切り離された愛の空間で娘二人と共に排他的な愛の言葉を紡ぎ始める。確かに、物語る術を通じて過去の苦痛と未来への希望を連結させることで「断片化された個人が治癒し、結合へと進む」(Powell)のかもしれないが、Belovedの存在はそれを促す一方で、また脅かすものでもある。SetheはBelovedの曖昧な存在とその起源である殺害故に、自らの母親としてのidentityに対する承認を娘から得ることは絶対にできず、ここに母娘の愛の物語の破綻は明らかになる。この小説が「語り継がれる物語ではない」のだとしたら、それはBelovedが日常的な風景の中に辛うじて「幽霊」として痕跡を留めているのと同様、Setheもまた彼女の “Me? ”という言葉が示しているように、「母親」でもなければ「女」でもない名づけられぬ存在であることしかできない為である。