1. 4.The Wheat! The Wheat !―― 総合芸術としてのThe Octopus におけるアメリカの美しさ

4.The Wheat! The Wheat !―― 総合芸術としてのThe Octopus におけるアメリカの美しさ

中野 里美 明治大学(非) 

 

1880年、カリフォルニアで起きた、Mussel Slough事件を基にしてFrank Norrisにより書かれたThe Octopus は、絵画的手法を中心に、美術、音楽、演劇を盛り込んだ文学に仕上げた。絵画や劇などに造詣が深いというNorrisの才能は、パリで絵画を学んだことや、元女優という彼の母の影響によるところが大きい。Norrisは明らかに絵画的、風景画的にカリフォルニアの大地を描こうとしており、人や物を色彩豊かに表現し、また色の混合、光へのこだわりなどの多くがThe Octopusに反映されており、(例えば太陽光をdiamond flashと表現し、ウサギ狩りで捕獲されたウサギの群れを大海原やそのうねりに喩えた箇所など)、読者の脳裏からそうした場面の残像が消えることはない。美術史を紐解けば、それまでの画家で「雨」を描いた絵画は極端に少ないが(印象派がようやく「光」を描きこんだ頃で)、あるいはJoseph Mallord William Tunerの‘Rain, Steam, and Speed-The Great Western Railway’に触発されたところも大きいと思われる。

そして、絵画的小説ともいえるこの作品でとりわけ効果的に用いられている手法がコントラストである。この作品には実に様々なコントラストがある。それを、音楽(農民たちの2回のダンスパーティが、2回とも鉄道会社からの悪い知らせに遮られる、鉄道音のハミングやエコー、様々な音のハーモニー、またストーリーが進むにつれ「再生の交響曲」、「死のダンス」へと展開する)にのせて、Norrisは劇中劇的に、またはThe Octopus 全体を1つのドラマの上演であるかの如く、(聖書、神話の登場人物になぞらえたり、heroやqueenを用意し、道化のような存在を悲劇の中に織り交ぜ、〜退場という言葉を使い、民衆―ここでは観客の比喩―の心を惹きつけることのできないリーダーが、会場となったオペラハウスの女優の控室に逃げ込むなど)、細部まであますところなく描き切っている。コントラストにより、同じトーンのものが正反対に描かれていて、それぞれの持つ意味が、相乗効果で鮮明に示されることになる。例えば、小麦のもつ“Force”と鉄道のもつ“Force”、支配者としてのS.BehrmanとMagnus Derrick、餓死するHooven夫人と上流階級の豪華なフル・コース、男性に良い影響を与え向上させることのできるAnnie DerrickとHilma、また都市の生活と農場の生活、鉄道会社や保安官に追われることになる Dyke と ranch の人にウサギ狩りで追われるウサギ、羊の大量轢死と鉄道会社と闘った“League”のメンバーの死、さらには人間嫌いのAnnixterがhumanityに目覚め叫ぶ“The Wheat! The Wheat!” と喪われたAngeleを取り戻すことになるVanameeの“The Wheat! The Wheat!”の叫び、そして最大のコントラストは、語り手であるPresleyの詩作(“Reality”)とVanameeの“Romance”で、上記の細かいコントラストを包括した上でのコントラストとなっている。読者は、この“Reality”と“Romance”を舞台背景(舞台美術)のベースにしてディテールが描かれ、ドラマが舞台の上で繰広げられ、音楽がオーケストラ・ピットで奏でられるのを、作品の副題である、“A Story of California”として体感するのである。この“A Story of California”で、NorrisはMussel Sloughを題材にした農民と鉄道の対決を「レキシントンの戦い」に喩えている。やがてはこういう紛争もカリフォルニアの問題だけでなく、アメリカ全土の問題となることを予感させているため、“A Story of California”は“A Story of America”とも読み替え可能であろう。

上述の詩人、Presleyは“The Song of the West”を完成させるために“ranch”を訪れるのだが、その“ranch”の実情を知るにつれてサンオーキン全体のみならず、そこに住む人々の姿も含めた‘The Toilers’「働く人々」(“The Song of the West”改め)を書き上げる。当初は“Romance”を求めていたPresleyだが、出来上がった作品はリアリスティックなものとなる。彼が西部で目の当たりにしたものは、新たに国家を造り上げていく「力強さ」であり、そこに住む人々の粗野ともいえる強さ、そしてそこから生まれる美しさでもある。人も小麦も鉄道もすべて同じ“Force”により突き動かされているため(実際にこの3つには“teeth”(歯)“blood circulation”(血液循環)など共通のキーワードもある)、Norrisは「邪悪なもの」として描かれさえする鉄道に対しても否定はしていない。またPresleyが農民と鉄道の戦いに参戦せず、傍観者でいたのはなぜか(彼のニックネームからも想像に難くない)。そしてまたその事件後、療養目的としてPresleyは、なぜインドへと向かう船に乗り込んだのか。“Production”というキーワードに隠されたアメリカ社会を読み解き、ストーリーのテーマをPresleyの視点から探っていきたい。そうすることで単に「自然主義作家」という枠に収まりきれない幅の広い作家、「総合芸術家」としてのNorrisを浮き彫りにしていきたい。