1. 2.チカーノ・ラティーノ詩における対話法的詩学

2.チカーノ・ラティーノ詩における対話法的詩学

斉藤 修三 青山学院女子短期大学


かつてミハイル・バフチンは、詩的言語があるイデオロギーによって統一されたな求心力へ向かうのに対し、小説の場合はな言語使用により、逆に脱中心化へ向かう遠心力を帯びると説いた。たしかにロマン派詩人たちの抒情詩を想起すると、その単声性はたとえば国民国家の言説へと容易に結びついていった。

だがモダニストの詩人になると、事情はことなってくる。The Waste Land に至るまでのT. S. EliotやE. PoundのThe Cantos が、多言語使用の生み出すポリフォニックな世界であったのは言うまでもないし、かりに単声的言表であっても、内的対話性に支えられたパロディやアイロニーに満ちていた。

そしてさらに、米国少数派の詩人になると、近年のポストコロニアルな言語意識と呼応しながら、英語という主流言語のなかで自らを「異邦人として」(ドゥルーズ)意識する度合いが高まるのに比例して、内容のみならず言葉遣いそれ自体に対話性や多声性がますます見られるようになる。なかでもチカーノをはじめとするラティーノ詩の場合、英語とスペイン語という二大帝国の遺産を受け継ぐだけに、「何を語るか」と同じくらいに、「何語で語るか」が大きなテーマとなる。そこで今日の発表ではチカーノ・ラティーノ詩に見られるな言葉のふるまいを作品に即して具体的に検証しながら、アメリカ詩の新しい潮流を考察したい。