1. 2.Don DeLilloのMao II と情報社会における小説

2.Don DeLilloのMao II と情報社会における小説

永野 良博 上智短期大学


本発表ではDon DeLilloのMao II (1991)を、二十世紀後半のアメリカ情報社会において小説の可能性を探究する試みとして捉えたい。主人公のBill Grayはメディアによって産出される情報の洪水から自らを意図的に引き離し、隠遁生活の中で作品の完成を目指す。資本主義経済が拡散する消費への呼びかけ、イデオロギーに侵された政治的メッセージ、映像の支配する大衆文化から隔絶した自立した主体が、Billの反逆的、高踏的芸術の根幹をなす。しかし読者が目にするのは、誇り高き孤立の中で、際限のない修正と加筆からなる創作行為の果てに、言語に対する制御を失い、さらに彼の死守する美的領域も情報の論理により侵犯され、小説完成を断念するBillの姿である。氾濫する情報から自らを引き離し物語を書く行為は、情報社会への一つの挑戦であるが、Billによる言わば外側からの挑戦は失敗に終る。DeLilloはBillが行う美的完成のための努力に敬意を払いながらも、自らは別の道を模索する。

DeLilloの作品と情報との関係については、既に批評家達によって論じられている。Mark Osteenは彼のMao II 論で、メディア文化における見世物としての作者(spectacular authorship)について論じ、小説家を消費可能なイメージに変える文化との小説家による対話的関係の構築の重要性を指摘する。John Johnston はポストモダニスト小説を、様々な媒体から発せられる言語と映像が形成する情報の集合体(information assemblage)として捉え、その中にDeLilloの作品群を位置付けている。それらの代表的批評家による見解に示されているように、DeLilloは情報社会からの隔絶という手段は取らない。むしろ作品の中に批判的に異なったジャンルの情報とその伝達形式を取り込んでゆく。本発表で情報社会における小説の可能性について論じる際、まず初めに物語(narrative)の問題を突破口としたい(DeLilloはMaria Nadottiとのインタヴューの中で、暗く悲劇的な報道とは新たな物語であると述べている)。情報の物語性についての考察に加え、主人公Billが文化形成の原動力であると考えていた小説が、情報文化といかに関わってゆくのか論じる。さらに情報ネットワークにおける主体の非肉体化と肉体化の問題を検討し、主体の変化とそれに伴う小説の形態の変化、さらに巨大なネットワークに捉えられた文化的他者との関わりを考察したい。