1. 2.母の物語を語る娘――Beloved における元奴隷女の娘の使命

2.母の物語を語る娘――Beloved における元奴隷女の娘の使命

安澤 梨花 津田塾大学(院)


Toni Morrisonの小説Beloved (1987)は、逃亡奴隷Setheの子殺しの事件を中心にして、奴隷制の暴虐による傷を致命的に負わされた黒人たちの自己回復のプロセスをテーマにしている一方で、Setheの「生き残った」もう一人の娘、Denverの成長の物語として読むことが可能である。Setheが自由になるのと同時にこの世に生を受けたDenverは奴隷制を体験しておらず、さらに母の子殺しに集約される奴隷制の過去に対峙することを頑なに拒んできたため、歴史の中における自身の位置が見出せずに圧倒的な孤立感に苛まれている。そうしたDenverの姿は、300年以上にもわたって存続してきた奴隷制の忌まわしい歴史から目を背けることで、いわば「国民的記憶喪失」に陥ってしまった現代に生きるアメリカ人の姿に重なり合う。

しかしMorrisonは、この少々頼りなくみえる元奴隷女の娘に、母の物語をはじめとする複数の元奴隷たちの「奴隷体験記」が織り成すBeloved という物語を後世に語り伝えるという使命を与えている。Denverは、殺された姉の化身であるBelovedを通して母の経験した奴隷制と対峙し、それを自身のものとして徐々に受け入れていくことになる。物語の最後で読み書きを習い大学に行くことになるDenverは、母から語り伝えられた歴史を文書によって記録するという使命を担っているが、これは実際の逃亡奴隷たちが自らの体験を、これまで白人の「占有品」であった書き言葉を用いて描いた史実と重なる。しかしそうした19世紀の「奴隷体験記」は主に奴隷制廃止を求めるプロパガンダとして北部の白人中産階級に向けて語られるものであったため、しばしばその語りは白人社会の道徳観念に縛られたものとなった。

Denverは白人にではなく、奴隷制の過去そのものを体現するBeloved に自身や母の物語を語ることによって語り手、ひいては書き手としての主体性を獲得していく。Linda Krumholzが先生、歴史家、著者としてMorrisonの先駆者であるとDenverを位置づけているように、Morrisonは白人のモラルの呪縛から解放されたアフリカンアメリカンの生きた歴史を後世に伝えるという役割をDenverに与えている。白人の少女の助けによってこの世に生み出され、彼女の名をもらったDenverは、自ら体験した奴隷制の記憶を持たず、さらには白人の教育を受ける機会を与えながらも、黒人の共同体の歴史の記録者としての使命を担うという非常に特殊な位置に置かれている。本発表では、元奴隷女の娘であるDenverの語り手としての役割に注目し、Morrisonが彼女を通して創造しようとした「新しい」奴隷体験記の持つ可能性について考察していきたい。