1. 1.Anais Ninに見る外見と自己認識の関係

1.Anais Ninに見る外見と自己認識の関係

澤ア 由起子 青山学院大学(非)


(1903-77)は7巻に及ぶ で知られる作家である。1966年に第一巻が出版された時、女性解放を求める時代の影響もあり、主に女性の読者に好意的に受け入れられたが、自己陶酔的な描写の多さがしばしば批判されてきた。

このような理想化の傾向とNinの自分の外見に対する自意識との間には、関連があるのではないだろうか。Ninは華奢ではかなげな自分の容貌を描写し、それに対する他者の賞賛を書きとめることが多いが、そのような容貌への愛着が内面を規定していくことは考えられるだろう。すなわち、弱々しい外見に対応する弱々しい内面を持っている、という自己認識が誘導されるということである。容貌と相容れない要素は抑圧される可能性がある。Ninは、性役割で女性に割りふられてきた弱さという側面を体現していたことから、自他の視点とも、Ninが弱さを内面化し、そのように自己認識することを容易に助長したと考えられるだろう。このような誘導された自己認識に基づいて書いたことが、Ellmannが批判するステレオタイプの女性像の再生産の一因ではないだろうか。そしてそのような自己描写は、確かにScholarの言う通り誠実なものではない。自己認識の段階と描写の段階において、二重の欺瞞があったと考えられる。

しかしAlthusserやJudith Butlerが言うように、主体は呼びかけによって立ち現れるものである以上、そのような主体を築いたことを批判するだけでなく、そのような主体が築かれていく過程を詳細に考察すべきだろう。男性より外見を重視されやすい女性のNinにとって、注目される外見が及ぼす影響は、大きかったのではないだろうか。Ninがいかに「主体的に」ステレオタイプの自己を確立していったかについて、外見という観点を中心に考えてみたい。