1. 3.さまざまな分身たち――Henry Jamesの理想郷小説考

3.さまざまな分身たち――Henry Jamesの理想郷小説考

水野 尚之 京都大学


1895年に劇 Guy Domville によって挫折を味わって以来、Henry Jamesは怪しげな超自然現象を扱った小説群とは別に、いわば理想郷小説とでも名づけるべき小説群を書いている。本発表は、これらの小説に通底する要素の分析を目的とする。

Jamesの Notebooks の記述(1892年5月)を読めば、“The Middle Years”(1895)と“The Great Good Place”(1900)は同じ着想から枝分かれしたものであることが分かる。“The Middle Years”の主人公である初老の作家Dencombeは、病気からの回復期にあるが、深い疲労感にとらわれている。そのような作家の前に、彼の作品“The Middle Years”に深く感動した若き医師Hughが現れる。遺産の相続の機会を犠牲にしてまで、尊敬する初老の作家に仕えようとする医師――「若さ」が強調されている――は、老いや死を意識した作家Dencombeが望んだ存在、すなわち彼自身の若き分身と解されよう。DencombeはHughと話しているうちに失神する。そして意識を取り戻した彼に、Hughは“You’ll be all right again.”と告げる。次の作品“The Great Good Place”においてこの“all right”が繰り返される事実は、偶然ではない。

“The Great Good Place”は、老作家の分身が若い作家の姿を取って、前作より深く主人公に関わる小説と解釈できる。また“The Middle Years”では若い女性が初老の作家に悪意ある言葉を浴びせるが、“The Great Good Place”では女性はもはや登場しない。主人公の老作家George Daneのまわりには、忠実な召使と、自分を深く尊敬してくれる若い作家だけがいる。またDaneが夢の中で訪れる“The Great Good Place”には、理想的な友人Brotherがいる。DaneがBrotherと理想郷を満喫している間に、現実の世界では若い作家がDaneに成り代わって、山と積まれたDaneの仕事を片付けてくれる。さまざまな分身たちが作り出す心地よい雰囲気の中で、Daneは水のイメージに満ちた世界――水による浄化が繰り返しなされている――を浮遊しているのである。

“The Great Good Place”における静謐で理想的な世界は、その直前の1898年にJamesがロンドンを離れてRyeのLamb Houseに移り住んだことが影響していると思われる。しかしその後二十年ぶりに生まれ故郷ニューヨークを再訪し、その変貌の様を目の当たりにしたJamesが書いた、いわば逆理想郷小説ともいうべき“The Jolly Corner”(1909)では、もはや主人公を救済してくれるような分身は現れない。現れるのは、顔を両手で隠した――その指は二本欠けている――分身である。この分身との対面の場面こそ、少年期からJamesを繰り返し襲った悪夢が具現化された例と考えられる。