1. 第1室(2号館1階 11番教室)

第1室(2号館1階 11番教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
林 以知郎

1.「魔女」の物語と“インディアン”――John Nealを中心に

  白川 恵子 : 同志社大学

2.Emersonと身体―― “Divinity School Address”を読み直す

  堀内 正規 : 早稲田大学

鷲津 浩子

3.新しいアダムとイブの運命――Hawthorneのユートピア表象を探る

  城戸 光世 : 広島国際学院大学

4.“Chanticleer and his family”――The House of the Seven Gables を読む

  妹尾 智美 : 関西大学(院)



白川 恵子 同志社大学


セーラムの魔女狩りの背後に、体制転覆の可能性をはらむ人種的、身体的、宗教的逸脱の要素を看破する解釈はもはや必然である。しかし昨今とみに顕著なのは、ネイティブ・アメリカンと植民者との抗争の影響を積極的に見出そうとする動向であろう。エセックス郡におけるウィリアム王戦争の影響から魔女狩りを再構築したMary Beth Nortonや、当時の環大西洋地域の人種的相関関係を考慮して、奴隷Titubaの人種的アイデンティティーをインディアンと同定するElaine G. Breslawらの歴史的研究は言うに及ばず、文学においても、イギリス人作家Celia Reesのメタナラティヴ Witch Child (2000)および Sorceress (2002)は、初期アメリカ植民者による魔女狩りの歴史が、ネイティブ・アメリカン社会と直結している様を如実に示している。

魔女狩りの物語化は枚挙に暇なく、これまでJohn C. M'Call, John Greenleaf Whittier, Henry Wadsworth Longfellow, James Nelson Barker, John William De Forest, Nathaniel Hawthorne, Arthur Miller, Ann Petry, Maryse Conde等、多種多様な作家が同時代の政治的・文化的状況をテクストに反映させてきたが、今回私は、John Nealの Rachel Dyer (1828)を中心に考察を試みたい。というのも数多の魔女狩り物語群中にあって、本作品は、かなりの割合で史実を踏まえて創作された初期の歴史ロマンスであるのみならず、人種的、宗教的不寛容を基盤とするニューイングランドの歴史、生霊証拠と告発による不当な裁判、為政者側の欺瞞を知らしめるという点においても後の作品に影響を及ぼす内容を提示しているからである。しかもさらに重要なことに、ニールはあたかもノートンを先取りするかのように、魔女として処刑された牧師George Burroughsのインディアン・コネクションを前景化している。

実際のセーラムの魔女狩りで ”Ringleader”と目されたバロウズは、作中、捕囚された白人女性とインディアンとの血を引く混血という出自を与えられており、1660年処刑された実在のQuaker教徒Mary Dyerの孫娘として設定された同名主人公の畸形レイチェルとともに死刑判決を受ける。物語のサブプロットには、魔女狩り旋風が吹き荒れる直前のFalmouthにおけるインディアンとの攻防や、Elizabeth Hutchinson(=Ann Hutchinson)の追放も含まれ、ニールが多大な影響を与えたホーソーンの諸作を彷彿させる場面にもこと欠かない。

David S. Reynoldsによって “the father of American Subversive fiction”と称された南北戦争前期の煽情作家ニールが周縁的存在の反逆精神を描くとき、そこにはいかなる時代背景が反映され、また異人種、異教徒、畸形という様々な逸脱を背負う「魔女」たちは、いかなる連関を示し共鳴しあうのか。本発表では諸作品の比較検討を踏まえて、以上の点を論じたい。


堀内 正規 早稲田大学


21世紀にEmersonを、批判的にではなく肯定的に読み直すとしたら、たとえばどういう視点によってそれは可能になるのか――本発表では、その問いに「初期エマソン」のテキストを身体性・身体感覚を基盤に据えて再評価することで答えてみる。その入り口として、いわゆる“Divinity School Address”(「神学部講演」、1838)を取り上げる。言うまでもなく、この講演は当時のニューイングランドにおける制度的なキリスト教の批判を通じて、キリスト教のみならず、ひろく人間の〈宗教性〉全般について〈リニューアル〉を試みたものだが、このエマソンによる〈宗教性のリニューアル〉に今日から見て(まだ)どのような可能性が読みとれるだろうか。

一見きわめてetherealな、とも見えるエマソンの言葉の向こう(裏側)に、彼が日々の日常の中でコンコード、とりわけウォールデン・ポンド周辺で経験していた自然との交流(接触)、その身体的な感覚の働きを探り当てること。エマソンの日記(journal)を参照しつつ、彼が公けにしたテキストを、そのメッセージ面(主張・オピニオン)にむしろ逆らうように身体性をベースとして(その意味ではエマソンの〈思想〉のdogmaticな部分を「転倒」して)評価し直すことがおそらく可能だ。たとえば1836年12月9日に彼がウォールデン・ポンドを覆う溶けかかった薄い氷の表面に何度も石を投げて遊んだ経験と「神学部講演」の‘Good is positive. Evil is merely privative, not absolute.’といった主張とはどういう風に繋がっていたのか。そうした問題を考えることで、エマソンが当時倦まず弛まず繰り返して主張していた大文字のLで始まる‘Law’或いは‘Moral Law’という概念を、知的な思考のレヴェルよりもっと深いエマソンの身体のレヴェルにおける感覚の問題として受けとめることができるようになるだろう。

現代の場所からエマソンを(とりわけイデオロギー的な観点から)批判的に読むことはあまりにもたやすい。しかしエマソンの「可能性の中心」は彼のテキストをポジティヴに読むことによってしか見えてこない。もしもエマソンにはもう「可能性」などない、と考えるのではないとしたら、ということだが。


城戸 光世 広島国際学院大学


アメリカ史上、作家や知識人たちの想像力が、ユートピア建設、あるいはユートピア思想へと大きく向かった時代とは、アメリカ=「地上の楽園」あるいは未来の「神の国」という幻想の下に、ヨーロッパから移民たちが押し寄せた植民地時代を除けば、19世紀の二つの時代、すなわち1840年代と、1880、90年代の世紀末であったという。そのうちの前者、1840年代を挟んだ前後10年は、Nathaniel Hawthorneが精力的に作家活動を行っていた時期にあたる。当時、空想社会主義者Robert OwenやCharles Fourierらの影響を多分に受けた超絶主義者たちを中心に、ニューイングランドの各地に幾つもの理想的共同体が建設されたことは周知の通りである。Hawthorne自身、シェーカー教徒の共同体訪問から The Blithedale Romance のモデルとなったBrook Farmへの参加決意まで、当時のユートピア運動への関心は決して低いものではなかった。

本発表では、Brook Farmを巡る当時の様々な記録や、GuarneriやDelanoら最近の19世紀ユートピア研究と、Hawthorneの虚構化されたBlithedaleを比較しながら、Hawthorneにとってユートピアという概念が何を意味していたのか、また彼のユートピア(ディストピア)表象と彼の社会批判とがどのように反響しあっているのかを、The Blithedale Romance や“The New Adam and Eve”などの作品を中心に探ってみたい。

当時のユートピア思想、あるいはユートピア的な共同体建設ブームには、それ以前の欧米における終末論、千年王国論(millennialism)の隆盛も背景にあるだろう。「アメリカ史上最も有名な千年王国論者」と言われるFather Millerへの言及は、ThoreauやHawthorneら当時の作家たちにも多い。現存する世界の崩壊と、理想的な新たな世界の登場――その怖れと期待が当時のアメリカには充満していた。だがMillerの予言した世界の終わりが、結局は到来しないと分かった時、自らの手で理想社会の第一歩を築くことに関心を向け始めた人も、あるいは多かったのではないだろうか。

しかし19世紀のユートピア共同体の殆どは、様々な理由から短命で終わった。Hawthorneが当初勇んで参加したBrook Farmも、彼が数ヶ月という短い滞在のみで去った後、6年間しか続かなかったという。それから一世紀半以上が過ぎ、ソ連崩壊を経た現在、ユートピアは半ば実現不可能な夢物語と同義に扱われている。はたしてユートピアは本当に「期限切れ」となったのか、それともLewis MumfordやKrishan Kumarらが説くように、ユートピア的想像力は現在において一層必要とされつつあるのか。審判の日を経て、再び新世界に立ったHawthorneの新しいアダムとイブは、再び失楽園の憂き目に遭うのだろうか、それとも人類にとっての新しい未来を切り開くことができるのか。楽園における蛇の存在を意識せざるをえないHawthorneの目に、人や社会の「進歩」や「改善」の可能性を信じることから始まるユートピア思想は、はたしてどのように映っていたのであろうか。今回の発表では、Hawthorneがユートピアやディストピアなどに言及している作品を幾つか取り上げ、彼のユートピア表象を総合的に検証してみたい。


妹尾 智美 関西大学(院)


Nathaniel Hawthorneの The House of the Seven Gables (1851)(以下H7Gと略記)には、“Chanticleer and his family”という4羽の謎めいた「鶏」が登場する。従来の批評では、「鶏」は館のPyncheon家族の没落――階級意識によって血筋の純粋さを維持した結果――を体現する存在、と見なされるに留まる。確かに、雄鶏の名“Chanticleer”は、「鶏」がPyncheon家族の<寓意像>として描かれている可能性を仄めかす。Chanticleerは、中世以来の動物ロマンスや寓話の中で、伝統的に<爵位貴族>に重ねて描かれてきたからである。しかし、「鶏」に関する詳細な描写には依然として不可解さが残る。「鶏」は“guardian-angels”の一種族とされる一方で、「気が触れ」、「奇妙な外見や振る舞い」を特徴とする“humorists”とされているからである。伝統的な寓意的手法に加え、「鶏」は何を背景にして描かれているのか。

本発表では、Brook Farmを巡る当時の様々な記録や、GuarneriやDelanoら最近の19世紀ユートピア研究と、Hawthorneの虚構化されたBlithedaleを比較しながら、Hawthorneにとってユートピアという概念が何を意味していたのか、また彼のユートピア(ディストピア)表象と彼の社会批判とがどのように反響しあっているのかを、The Blithedale Romance や“The New Adam and Eve”などの作品を中心に探ってみたい。

Hawthorneは、ルネサンスにおいて再評価された<憂鬱質(メランコリー)>について強い関心があったと言われている。H7G では、“melancholy”という言葉が25回使用され、「鶏」の鳴き声も“a sleepy and melancholy tone”と表現されている。この事実は、「鶏」がPyncheon家族の<メランコリー>体質を体現している可能性を浮かび上がらせる。そこで、本発表では、謎めいた「鶏」について、ルネサンスにおける<メランコリー>の概念を背景に置いて考察する。

まず、「鶏」の外面的な特徴に焦点を当てたい。「鶏」には、病んだ<メランコリー>の表象として、羽毛には“speckle”、頭の上には“funny tuft”、両足には“knob”があるのだが、これらは同時に、<道化師>の伝統的な衣装である<まだら服>や、頭に飾る<とさか>あるいは<羽毛>、<鈴>にも重なる。<メランコリー>の病に冒され、<狂気>に陥り、肉体的な<不調和>をきたした人間の境遇、即ち、周囲の目には単なる<おどけ者>として映ってしまうという、<悲哀>を伴う状況が暗示されているのである。「鶏」に用いられた“humorists”という表現も、そのうわべの滑稽な様子が<メランコリー>の病と密接な関わりがあることを示している。“humorist”という言葉は、古代以来の四体液(four humours)の理論から生じており、<メランコリー>の概念とは切り離せないからである。

しかし、<メランコリー>は健全であれば<聖なる霊感>を生む<高貴な気質>である。Hawthorneが「鶏」を“guardian-angels”の一種族とし、“feathered people”とも表現するのは、デューラーの≪メレンコリアT≫に描かれる、高貴なメランコリー像に結び合わせるためであろう。「妄想」に囚われ、肉体も病んではいるものの、Cliffordには「精神的かつ不滅の」“beautiful grace”が漂い、Hepzibahの「生来の気質」にも“something high, generous, noble”が存在するのは、彼らが<メランコリー>という優れた気質を受け継いでいるからであり、<寓意像>として存在する「鶏」は、この事実を物語っていると言える。

物語の結末において「鶏」が「卵」を産み始める場面は、CliffordとHepzibahの回復を暗示するものと考えられる。<メランコリー>による病は状況次第で回復する可能性がある。いかなる働きかけが、回復には欠かせない心身の<調和>を促したのか。最終的にはこのことについても検討したい。