1. 破壊を創る――ハリウッド映画における語り直し

破壊を創る――ハリウッド映画における語り直し

福井大学 辻 和彦


語り直しする以上、先行するものを破壊しなければいけない。アメリカニズムに内包された論理には、そうした側面も少なからずあるのではないだろうか。十九世紀からの福音主義による禁酒運動や、所得格差の拡大を当然視し、市場原理を盲目的に信じる自由主義的資本主義などはその好例であり、いずれも自己の「語り直し」のために、先行する「慣習」、「制度」、「組織」を容赦なく破壊することを偏愛するのである。

アメリカが創り出した最大の文化産業であるハリウッド映画の世界でも、「破壊」は長らく最も華やかな見せ場であり続けている。「正義」や「善」を体現する主人公が、「理想」や「救済」のために、「悪」が蔓延る社会を破壊するといった、数知れぬほど製作されてきたシークエンスなどは、その典型例であろう。

こうした「破壊」場面は、当然のことながら過度に暴力的であるがゆえに批判されることが多い。しかしながらそうした「暴力」の裏側にどのような語り直しのレトリックが潜んでいるのかを探ることは、その「破壊」の意味の再定義のためにも必要不可欠である。

またハリウッドはしばしばこのような物理的破壊に託して「制度」や「概念」の破壊を描いてきたが、こうした「破壊」は「再生」や「再出発」のために「必要」なものとして想定されている。例えば「家族」の「破壊」と「再生」などは、やはりハリウッドがよく好む主題であり、時代の変動という背景の下で両者は別ち難く結びついてきた。そして時としてそれらは、曖昧模糊とした共存関係など許さず、「理想」の家族像への献身を強制する社会的役割を果たしている可能性すらある。

Stephen Spielbergはこうしたハリウッドの中で、一流の「壊し屋」であり続けてきた。得意とする特殊撮影で描く彼の物理的「破壊」は、言うまでもなく当代随一のものであり、特にそのスケールの大きさには定評がある。語り直しを必ずしも修正の段階に留めないという「原理主義的」アメリカにおいて、雄大な「破壊」を大量生産してきた彼が名声を保っているのはもっともなことであるが、しかしながら、その「破壊」のうちに存在する語り直しのベクトルは、「再生」のための「破壊」や、「破壊」のための「破壊」と常に一致するわけではない。本発表では、Spielbergの作品を中心に取り上げながら、ハリウッド映画における「破壊」と「語り直し」のロジックを探る第一歩を踏み出してみたいと思う。