1. ジェンダー・レトリックと反知性主義

ジェンダー・レトリックと反知性主義

お茶の水女子大学 竹村 和子


『アメリカの反知性主義』の著者リチャード・ホフスタッターは、『ボストンの人々』のなかでヘンリー・ジェイムズが登場人物の口を借りて、「全世代が女性化し、男性的なものが消滅していく」と嘆いたとき、彼が理想とした剛毅な男性社会は、質朴な人民の社会でも、また現実主義的な資本の世界でもなく、むしろ反知性主義者からは知性的と批判されがちな東部知識人の世界だったと述べ、反知性と知性がジェンダーを軸に反転を繰り返す米国の政治・文化風土を示唆した。事実、アン・ハッチンソンに対する学識ある聖職者からの攻撃、マーガレット・フラーへの二律背反的なナサニエル・ホーソーンの態度、女性原理を取り込んだ福音主義的思想の政治化、アーネスト・ヘミングウェイとガートルード・スタインの奇妙な交錯、ハリウッドと権力と知識人の歴史的まだら模様など、それぞれ位相は異にしても、米国の反知性と知性のコングロマリットは、思いのほか、明に暗に性を媒介に展開してきた。

いや冷戦構造の推進力であったアメリカニズムそのものが、反知性と知性の敵対/共謀関係によって成立しているなら、アメリカニズムの神話的著作とされていたF.O.マシーセンの『アメリカン・ルネサンス』自体、コミュニズムに対する作者の二律背反的姿勢のみならず、性的事柄の操作とその隠蔽によっても成り立っており、アン・ダグラスの『アメリカ文化の女性化』も、この延長線上で再検討される必要があるだろう。

近年では、ジュディス・バトラーの著作の「難解さ」に対してフェミニストからの批判が相次ぎ、フェミニズム内部で知性/反知性が相互に交錯しているが(というのも知性こそ、男性原理の「言語」としてフェミニズムが問題化してきたものであるから)、それのみならず、フェミニズム「理論」が起爆剤になって、アカデミズム(の理論)の有りよう自体が問われ始めている。

本発表では、アメリカの反知性主義と言われるもののなかに、いかに性の力学がレトリカルに刻み込まれており、それが現在の批評営為のなかでどんな(反)作用を及ぼしているかを考えたい。