1. 3.2つの時間と閉ざされた空間からの告発― Arthur Millerの I Can't Remember Anything

3.2つの時間と閉ざされた空間からの告発― Arthur Millerの I Can't Remember Anything

森 瑞樹 大阪外国語大学(院)


激動の20世紀を生き、個人と社会の関係性を描き出し、自らの良心のもとに社会を見つめ直した劇作家Arthur Millerは、彼にとって不作の時期とも言われる1980年代に、I Can’t Remember Anything (1987) (以下ICRAと略記)という、これまでとは異質な戯曲を産み出す。この作品は男女2人の老人の対話のみからなる一幕劇で、舞台はリビングルームに限定され空間的移動も存在しない。しかし、この作品を、閉塞的舞台空間という要素によってMiller劇の異端として位置付けをおこなうのには問題がある。

ICRA において、Millerは個人と社会の関係性というテーマと“Time”、“Real”、“Illusion”という新たなテーマとの融和を図り、現代社会の時のパラダイムを舞台に浮上させる。これらを考察するにあたり、作中に登場する新聞というメディアに着目する。メディアとは、言説の主体として恣意的に価値体系を固定化し、現実世界というコンテクストから記憶を表象する事象を断片的に切り離し再編する。この断片化は、記憶という時間性に一定のフレームを与えることで、記憶を空間化する。空間性を持った記憶はコラージュ的に相互結合した記憶世界へと再構築される。しかし、ドグマティックなイマージュの主観的な確認の連続からなる記憶は、ドゥルーズの言う「相互主観性」が機能しなくなった際に崩壊を迎える。ICRA に登場する老婦の記憶喪失はまさに、相互主観性を無効化し、記憶の空間的な結合を解くエージェントに姿を変える。

本発表においては、コラージュ的に結合した時間性とそれを無効化する時間性という2つの時間性を考察するとともに、閉ざされた空間として提示される舞台へ、相反する2つの時間性のせめぎ合いを舞台化する演劇性に着目する。また、この2つの時間性の対立により前景化する、現実とシミュラークルの境界の喪失、アイデンティティの揺らぎを見せる現代性について論じる。さらには ICRA が、メディアに対する個人の無防備な受動性、社会に対する無関心を告発する作品としての読みを試みる。