1. 4.1940年代喜劇の中の「異常者」 たち―Arsenic and Old Lace と Harvey における笑いの分析

4.1940年代喜劇の中の「異常者」 たち―Arsenic and Old Lace と Harvey における笑いの分析

黒田 絵美子 中央大学


アメリカのコメディーの代表作として世界各地で今もなお繰り返し上演されている Arsenic and Old Lace (Joseph Kesselring 1941) と Harvey (Mary Chase 1943)は、精神異常の家族を療養所に収容することが、芝居の展開上、中心的な要素となっている。これらの作品における「精神異常者」の扱われ方に着目し、Foucaultの異常者やBakhtinの民衆的グロテスクといった概念を参照しつつ、現実世界ではタブー視され、発言にも慎重さが要求されるはずの主題が、いかにして舞台上で提示され、しかも笑いを生み出して、多くの観客に受け入れられてきたのかを考察する。

二作品において問題行動を引き起こす精神異常の登場人物たちに共通する特徴は、彼らが、自分たちが異常であることには気づいておらず、したがって、異常であるがゆえに起こった問題に対して責任を感じていないことである。問題の処理に奔走させられるのは、常に周囲の正常な人物たちである。この点、Neil Simonの描く神経症的な登場人物とは大きく異なっている。Simonの登場人物は、自分たちの持つ、閉所恐怖症、潔癖症といった症状を認識しており、そのことによって起こる問題に責任すら感じて、周囲との対応を図る。その際の彼らのぎこちない言動が、Bergsonの言うところの「こわばり」を持つものであり、笑いを引き起こす大きな要素となる。一方、上記二作品において「こわばり」のある行動を見せるのは、むしろ正常な人物たちであり、問題を起こした当の本人たちは、まったく取り乱すこともなく、淡々とのびのびとして日常を暮らしている。Arsenic and Old Lace の二人の老嬢は、慈善事業との信念のもとに身寄りのない老人たちに毒入りワインを飲ませ、地下室に埋葬しており、この事実を知って甚だしく動揺するインテリの甥とは対照的に、自分たちの引き起こした殺人・死体遺棄という問題の深刻さにはまったく気づいていない。さらに興味深いのは、二人の別の甥で長年行方知れずになっていたJonathanが、凶悪な殺人鬼となって帰宅し、室内に死体を隠すと、老嬢たちは、Jonathanの殺人という行為は明らかな「犯罪」と見做し、持ち込まれた「死体」は、自分たちが地下室に埋めた死体とは別の意味を持つ侵入者として扱うことである。ArsenicのJonathanは、顔も姿もフランケンシュタインにそっくりな、いわば「怪物」であったが、Harveyにおいては、怪物的存在は、異常者として周囲から疎んじられているElwoodではなく、彼にだけ見えるHarveyという身長2メートルのウサギである。Elwoodは彼をpooka(化け物)と呼ぶ。

本発表では、同時代のハリウッド映画に見られる同種の表象をも参考に、歴史的文脈を視野に入れつつ、「異常者」や「怪物」、さらには「死体」といった概念とその表象の持つ意味が、これらの芝居の中で時々に変化し、笑いを誘う要素となるメカニズムを分析していく。