1. 2.海と森と大平原と― Obasan にみる原型的想像力

2.海と森と大平原と― Obasan にみる原型的想像力

伊藤 章 北海道大学


太平洋戦争が始まると、合衆国の西海岸に住む日系人が収容所に送られたことはよく知られているが、カナダのブリティッシュ・コロンビア州(以下BC州と略)沿岸部に住む日系人2万1000人にも同じような、いやアメリカの同胞以上に過酷な運命が襲ったことはあまり知られていない。より過酷であったのは、BC州がイギリス系主流派の白人優位主義のきわめて強い土地柄であり、「黄禍」たるアジア系への差別がより露骨であったからである。その結果、すべての日系人は「敵性人」と規定され、「市民としての権利」を奪われた。徴兵年齢の壮年男子は道路建設などの労働キャンプへ、女性と子供はBC州内陸部のゴーストタウンに急いで造られた収容所へ送られ、家族がバラバラにされた。戦後になってもしばらくは西海岸に戻ることを許されず、その過程で日本へ送還されたり、カナダ全土へさらに分散されたり、日系人コミュニティがほぼ全壊してしまった。Joy Kogawaの Obasan(1981)は、そうした日系カナダ人の戦中と戦後の苦難の歴史を扱う。

語り手のNaomiは、BC州のヴァンクーヴァーに生まれ、当地にて幼少時代を過ごすも、5歳のとき、内陸収容所のひとつに指定された、ロッキー山脈の麓の鉱山町スローカンに追放される。戦後は、ロッキーの反対側の大平原州、アルバータ州の農村グラントンに再度の追放。こうして、海と森と大平原と、カナダを代表する3大風景のもとで、Naomiは幼年時代と少女時代、思春期以降を生きることになる。

本書にカナダの風景が描かれているのは当然だが、それに加えるに、語り手の心象風景をつづった内省的な文章には、地(木や石)、水(雨や雪、地下水)、気(空や風)、火など、古来より万物の根源とみなされた自然界の4大元素が重要なイメージ群として、織りこまれてもいる。カナダの自然描写のなかに、原型的なイメージにかんする宇宙的で内面的、象徴的な描写もあるという2重構造を最初に指摘したのは、Erika Gottliebであったが、本発表はそれをさらに徹底させようとする。読者は、本書を読みすすむにつれて、自然の事物がじつに種々のもの、しかも明らかに結びつくはずのないものに喩えられ、そこに思いがけない類似関係が成立することに、新鮮な驚きと喜びを与えられるのであるが、それはたんに語り手の溢れんばかりの詩的想像力の発露だと済ますにとどまってはならない。また、比喩をたんに言葉を飾るものとだけ考えてはならない。Naomiはなぜ、こうしたイメージを自然に投影するのか、問わなければならない。深い影響を及ぼした体験というものは、その意味を正確に語ることなど不可能である。語られるたびに新しい意味を生みだす。したがって、こういう隠喩に富んだ、複雑な意味をもつ言葉で語ることしかできないのである。

本発表は、Obasan において、カナダの自然がどのように表現されているのか、また、その自然が主人公の内面風景とどのように関係するのか、探求する。故郷追放と強制移動、強制収容、一家離散、コミュニティ解体といった、ディアスポラ的状況を生き抜いた日系カナダ人にとって、カナダの自然はいかなるものであったのか。カナダの過酷な自然は敵対的なままに終ったのだろうか。あるいは、苦難を生きのびた日系人はついに、自然と折りあい、カナダをホームとすることができるのだろうか。