1. 4.郊外の憂鬱―The Hours における郊外

4.郊外の憂鬱―The Hours における郊外

佐竹 由帆 青山学院大学(非常勤)


Virginia Woolfの Mrs Dalloway を下敷にしたMichael Cunninghamの The Hours において、1949年ロサンジェルス郊外に住む主婦Lauraは、Mrs Dalloway を読みながら死の誘惑と闘い、妻、母として自分に課せられた役割をなんとか果たそうと必死に努力するものの、その役割にうまく適応できないでいる。この状況は、Betty Friedanが指摘した、第二次大戦後兵士の帰還により性役割の保守回帰が進んだアメリカにおいて、郊外の住宅で一見何不自由ない幸福な暮らしをしているはずの主婦たちを襲ったどうしようもない憂鬱と同様のものと考えられる。その憂鬱とは、中流的な主婦のいる幸福な家庭というイメージを実践しようと奮闘したものの、その形を実現しても幸福を実感できず、イメージと現実との齟齬に感じざるをえない苦しみと言いかえられるだろうか。

だが幸福なはずの郊外生活を満喫できないのは第二次大戦後のアメリカの主婦ばかりではないようだ。The Hours の登場人物の一人として、1923年ロンドン郊外で Mrs Dalloway を書き始めようとしているWoolfは、郊外での静かな暮らしに耐えがたさを感じ、ロンドンに移ることを切望している。時代と地域を越えて、二人の登場人物たちが感じる郊外の憂鬱が響きあっている。一方 Mrs Dalloway において、ロンドンに暮らす主人公のClarissaは、郊外に暮らす旧友のSallyについて、庭や家族のみにとどまる生活に自足する郊外族の妻に成り下がったと、どこか見下している。以上のことから、The Hours において、郊外への否定的見解は二重三重に響きあっていると言えるだろう。

Robert Fishmanは、中流クラスの心をとらえる郊外住宅地の起源は18世紀ロンドン郊外にさかのぼり、自然と調和し「富と独立に恵まれながらしかも緊密で安定したコミュニティに守られた近代家族」という理念の表現が郊外であり、郊外は「アングロ―アメリカン中流クラスの集団的創造、ブルジョワ・ユートピア」だったと論じている。この指摘をふまえると、18世紀から続くアングロサクソンの郊外史の枠組みでこれらの登場人物たちをとらえることができる。この枠組みにおいて、登場人物たちの郊外への否定的姿勢は、彼女たちが郊外の理念に共鳴できないことの表れであり、郊外の憂鬱は、その理念に共鳴できないがゆえに、「ブルジョワ・ユートピア」が、彼女たちにとって「ブルジョワ・ディストピア」に反転して、抑圧的に迫ってくることにその起源を持つと解釈できるだろう。

以上のことから、The Hours におけるそれぞれの挿話を結びつけているのは、下敷として明らかな Mrs Dalloway という作品だけでなく、郊外というイデオロギーも重奏低音のように、その役割を担っていると考えられるだろう。